11.変化する街並み 昭和中期

都市化する柾谷小路と風情残る通

 新潟市は大正14年(1925)に都市計画を実施することとし、柾谷小路を含め市内街路網の整備を行いました。掲載した2枚の柾谷小路の写真には、当時の主要交通手段として全盛を誇った「天然ガスバス」が多く写っています。「銀色に青帯」の銀バスカラーは、昭和7年(1932)の新潟合同自動車(3社合併)からのもので、戦時統合で昭和18年(1943)に現在の新潟交通が成立したあとも引き継がれています。戦後のエネルギー不足の際、新潟交通は自社で天然ガスを掘り、それを圧縮してバスの燃料としました。その天然ガスは昭和30年代の「地盤沈下」の原因とされガス規制が行われるとともに、バスの燃料は軽油にきりかえられました。掲載した『西堀通6番町付近』の写真の右の桜の上に「小林百貨店」の看板がみえます。柾谷小路から一歩「通」に入ると都市化されつつあるとはいえ、明治の風情が残っていました。『こんぴら通』もまた明治時代の面影を残していました。

(写真提供 / 新潟市)


礎町から見た柾谷小路(昭和30年頃・1955年頃)

 


大火前の柾谷小路(昭和24年・1949年)鈴木孝衛氏 撮影

 


西堀通6番町付近(昭和25年~30年・1950年~1955年)吉田初雪氏 撮影

 


こんぴら通(昭和21年・1946年)