8.明治・大正・昭和

明治の新潟町

「新潟警察署所轄全図」
明治19年(1886)7月に「地方官官制」が公布されたのに伴い、府県内の各郡区に1つの警察署を置く一群一署の制度が導入され、当時の新潟区を所轄するために新潟警察署が設置されました。
「新潟警察署所轄全図」は、新潟警察署の管内をあらわしたもので、当時の街並みが見て取れます。
当時の段階で、現在の新潟の街並みがほぼ出来上がっており、明治19年に完成した初代の萬代橋(長さ782m)も描かれているのがわかります。
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<「新潟警察署所轄全図(新潟警察所管内全図/新潟区)」明治21年(1888)/新潟県立図書館蔵>

「新潟市商業家明細全図」
明治29年(1896)に石版印刷でつくられ、商業者名が分かるとともに、現在もほぼ同じ区画であることが分かります。また、沿革には新潟町の成立ちが書かれています。
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<「新潟市商業家明細全図」明治29年(1896)/新潟県立図書館蔵>
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<「新潟市商業家明細全図/沿革」/新潟県立図書館蔵>

 

萬代橋がつなぐ新潟町と沼垂町

「大正三年新潟市全図」
新潟市と沼垂町は、大正3年(1914)4月1日に合併しました。「大正三年新潟市全図」は、合併直後の新潟市の地図になります。
沼垂は信濃川沿いに広い土地があり鉄道が通っていて、新潟側に比べて川は深く、信濃川の水量を制御する大河津分水の着工と重なり、新潟市は沼垂に新しい港を建設することが可能になりました。
「大正三年新潟市全図」に載っている萬代橋は2代目のもので、初代の萬代橋は新潟大火(明治41年/1908年)で焼失し、翌年に架け替えられました。長さは782mになります。
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<「大正三年新潟市全図」大正3年(1914)/新潟市蔵>

「小甚旅館案内」
「小甚旅館案内」は、大正13年(1924)に小甚旅館が宣伝用に作成した鳥瞰図で、信濃川を行き来する汽船や筏が描かれています。
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<「小甚旅館案内(小甚旅館より各所に至る道程)」大正13年(1924)/個人蔵>

「昭和六年新潟港全図」
昭和4年(1929)に信濃川は埋め立てられ川幅が狭くなり、萬代橋は3代目に架け替えられました。
沼垂には、製油所などの工業地帯が生まれました。その中心は海陸連絡を実現した中央埠頭、北埠頭、臨港埠頭を擁する近代港湾でありました。
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<「昭和六年新潟港全図」昭和6年(1931)/新潟市蔵>

「新潟市鳥瞰図」
「新潟市鳥瞰図」は、全国の鳥瞰図を描いた吉田初三郎によるもので、昭和12年(1937)に新潟で開催予定であった「日本海大博覧会」の宣伝用に制作したものと考えられます。
昭和10年(1935)には、新潟ー北朝鮮航路が政府命令航路に指定され、東京と満州国首都新京を結ぶ最短路として喧伝されました。
初三郎が描く新潟港に入る大型客船は、近代的な港湾都市に生まれ変わった新潟の姿を象徴しています。
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<「新潟市鳥瞰図 部分」昭和12年(1937)頃/新潟市歴史博物館蔵>

萬代橋の歴史
現在の萬代橋は3代目のものになり、初代の萬代橋は、明治19年(1886)に木橋で建てられ、明治19年2月に着工して同年11月に竣工しました。長さは782mでした。
その後の新潟大火(明治41年/1908年)で焼失し、翌年2代目の萬代橋が木橋で架け替えられました。
それから20年後の昭和4年(1929)に川幅などの問題があり、3代目に現在の萬代橋が架けられました。
橋の長さは川幅が狭くなったため、309mになりました。

<絵図が語るみなと新潟 抜粋>

1.新潟町誕生と「元和のまちづくり」 2.古町誕生と「明暦のまちづくり」 3.明暦以降の新潟町 4.日本海有数の賑わい交流拠点への発展
5.みなとのカタチ   6.江戸後期の新潟町  7.開港5港  8.明治・大正・昭和