1.古町鯛車発祥の歴史

鯛車発祥の地は新潟の下町だった

 新潟住吉祭りでは、江戸時代より祭りの山車は年々大型化され鯛ばかりでなく其の時代の色々な話題になる造形物が造られました。それを各組で競い合って造り、祭りは最高に盛り上がりました。最大十七間の鮪も有ったと昔の毎日新聞の記事が有りました。今の青森ねぶたより大きな山車です。


鯛車発祥-1新潟住吉まつり 昼の祭典 車輪付鯛の山車
鯛車発祥-2大正三年 新潟町と沼垂合併年 歴史文化課保存資料

江戸時代の延宝八年から続いた新潟住吉まつりが禁止された

 当時の新潟町の人達は祭りが大好きで毎日飲んだり飲んだり喰ったりで仕事もせずに来る日も々祭り三昧の繰返しでした。そこでとうとうお上から風紀上に問題がある、無駄遣いをせずに節約しなさいとの事で、住吉祭りが禁止されました。最初は明治五年の時で9年間も禁止されました。その後は人々の願いで再開したけれど又禁止されたりの繰り返しでした。禁止中は祭りの時期が来ても以前であれば準備の笛や太鼓の音がしたのに今は火の消えたこの世の終わりのような日々が延々と続き新潟島の人達の寂しさはひとしおでした。


鯛車は新潟町の人達が考案した。

 そこで考えられたのが祭りの山車に変わる提灯のような作りで下に車が付いて子供たちが引いて歩く鯛車です。これは新潟町の人達が必要にせまられて数年を掛けて発展させていったものです。

 その行列はまさしくお祭りごっこであり現代の鉄道模型を見るようなもので大人も子供達も祭り縮小版の山車に変わる鯛車行列は下町の人達にとっては大変ななぐさめになりました。


鯛車発祥-3日和山付近の夜の祭典・信濃川河口まで砂浜を大型手持ち行灯で海難事故の霊を弔うちょうちん行列(現在は舟で水上渡御)その灯りは遠く佐渡からも見えたという。行田魁庵筆 新潟市歴史博物館蔵


鯛車とちょうちんの行列は夏の夜の風物詩でした。

 鯛車の行列は例年祭りが有った時期より始まりお盆すぎ迄の夕方から各町内で行いました。子供達は大声で「ちょうちんぎょうれつあつまれよ、おじじもおばばもあつまれよ」と友達を呼び歩き、一通り集まると列を整えて「ほーらんやーの あららがどっこいしょ よーいとこ よーいとなー」と祭りで大人が謡っていた木遣りをまねて謡いながら町内を一巡したものです。(網干嘉一郎 著書)

新潟市在住の版画家 植木須美子さんの絵本では(1921年生まれ)

 「昭和のはじめ男の子は夏になると黒繻子に丸金の紋の(金太郎さん)をつけておちんちんは丸出しだった。鯛車は金魚台輪という所もあるようだが親父が息子のために手作りしたものだと聞いた。素晴らしいデザインだと思う。」と書いておられます。(新潟県立図書館 貯蔵)


鯛車発祥-4

鯛車は信濃川下流の新潟町より各地に伝播した。

 その鯛車は新潟町から周辺各地に伝わっていきました。其の過程でそれぞれの地域で尾びれに変化がみられます。地域の特長を出すために違いを出したものと思われる。

 長岡藩領地の新潟町から、新発田藩領地の沼垂に伝わる時は、鯛ではなく尾びれを極端に変えて、金魚にしたものと思われる。当時両地は何かに付けて熾烈な争いが多く同じ物を避けたものと推測される。

 新潟甚句に八千代川と唄われている様に新潟は東西の他に南北に繋がる多くの川や潟で結ばれて網の目のようでした。舟を乗り継げば当時としては大変便利で日本海側での海運と川運で潤い文化も発達しました。鯛車もその中のひとつです。明治時代では地元新潟町での製造は勿論、凧職人の多い白根や三条へも制作が依頼されました。