2.鯛車は疱瘡除け

鯛車は疱瘡(ほうそう・天然痘)除け

疱瘡除けとしての鯛車

疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。

疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与えて疱瘡除けのまじないとする風習もあった。

赤い物として、鯛に車を付けた「鯛車」という玩具や、猩々の人形も疱瘡神よけとして用いられた。(ウィキペディア疱瘡神より引用)

 

何故、赤色が疱瘡除けか?

疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、

1、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良い

2、健康のシンボルである赤が病魔を払うという俗信に由来する

3、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もある

(ウィキペディア 疱瘡神より引用)

 

鐘や太鼓や笛で賑やかに疱瘡囃子

疱瘡は伝染病であり、発病すれば個人のみならず周囲にも蔓延する恐れがあるため、単に物を飾るだけでなく、土地の人々が総出で疱瘡神を鎮めて外へ送り出す「疱瘡神送り」と呼ばれる行事も、各地で盛んに行われた。

鐘や太鼓や笛を奏でながら村中を練り歩く「疱瘡囃子」「疱瘡踊り」を行う土地も多かった。     (ウィキペディア 疱瘡神より引用)

 

住吉大明神と疱瘡

底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神と、神功皇后を合わせた4本殿があり国宝に指定。住所は大阪市住吉区住吉

海の神、航海の神 される。

住吉大社の託宣が出て神功皇后は、朝鮮半島に船団を率いて進出した。

住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされる

イザナギとイザナミ神話で、イザナミが火の神を産みヤケドして黄泉国に行ってので、イザナギが会いに行ったが逃げ帰ってきた。川で禊をした時に、深い所から底筒男命、中ほどの深みから中筒男命(なかつつのおのみこと)、浅い所から表筒男命が出た。 ウィキペディア住吉三神より

 

疱瘡除けとして住吉神社で、鐘、笛、太鼓で囃子立て鯛車を曳いた

子供の疱瘡除けとして、自宅では赤い鯛車を飾り、近隣では笛、太鼓で賑やかに練り歩いた。

川村奉行への報告書「新潟市中風俗書」(1852年)には、夜なると小児どもは小灯籠を笛、太鼓で町内を練り歩いたが町外を出ることは無かったとあります。 町外から伝染されるのを恐れたので、疱瘡神を鎮めて外へ送り出す「疱瘡神送り」したからではないかと思われます。

「夜分ニ相成候得者小児共小灯籠を持、太鼓ニ笛を吹添賑打ならし候、尤外町江持出し候儀ハ不為致候、神輿御旅者洲先町ニ而諸事世話仕候。」新潟市中風俗書原文

 

何故、鯛でなくて鯛車なのか?

住吉神社は、海の神ですから、漁師などが大量を祈願しました。それで、祭礼の行列には、魚をかたどった山車が奉納されました。大きな魚が大量を意味しますので、大きな模型には運ぶための台車が必要でした。

大きな魚が新鮮な状態で活き活きした様を表すために、台車には波が描かれていることが多いようです。

疱瘡除けとしての住吉神社に祭礼の山車が鯛車でしたので、赤く塗った模型として玩具を、子供の周りに置きました。

 

古町鯛車は何故、提灯か?

住吉祭礼は、昼祭りと夜祭りに分かれ、古町通は夜祭りの担当でした。

夜祭りは、大量の提灯行列で、海の神に奉納するため人家の無い砂浜を、行列を連ねてあるきました。 佐渡からも見えたとのことです。

昼祭りの大きな鯛の山車に、あやかって、赤い提灯で作られた鯛車を、古町の提灯屋に製作させ、子供の疱瘡除けとして鯛車を与えたものと思われます。

ちなみに、ダルマが赤いのも、疱瘡除けとしての意味があります。

 

お盆に鯛車は何故か?

住吉三神は、神仏習合の思想では

薬 師如来(底筒男命)

阿弥陀如来(中筒男命)

大 日如来(表筒男命)

を本地とすると考えられた。

そこで、住吉大明神の代わりに、寺院でも、疱瘡除けとして、

鯛車を曳いたのではないかと、推測されます。

 

平成22年度 武雄市図書館、歴史資料館ミニ企画展

疱瘡絵(鯛車)

歌川芳虎画 幕末~ 明治初期                  

武雄市蔵

 疱瘡は疱瘡神の仕業とされ、赤色呪力で追い払おうとする風習があった。

鯛車は祝い物等にも用いられた玩具で、鯛も赤いことから疱瘡除けのお守りとされた。

上部に「お目出鯛ことのみ家に三ツ道具そろうて いつもあそぶおさな子」とある。

鯛車は疱瘡除け